いろいろな人から「何故、練馬から小田原に来たの?」と質問されます。
実は私の亡くなった母が大磯の酒屋の娘でした。結婚当時は練馬より大磯の方が開けていたそうで、祖父が「練馬なんぞの田舎に娘を嫁に出した」と嘆いていたとか・・・ 約70年前の話しです。(笑)大磯を拠点に移転先を考えていたら小田原に辿り着いたと言う訳です。
写真は数年前に廃業した母の実家「井之口屋」の徳利と角樽(つのだる)です。一番下の写真は、これだけではよく判りませんが一斗瓶(一升瓶十本分)になります。練馬の酒屋と大磯の酒屋の歴史が箱根口の酒屋に詰まっています。。。